Amazonで購入したこと忘れてて、新千歳空港でも買ってしまった『ウェブ人間論』。そして、今はなぜか手元に2冊ともないという状況での読書ノートです。

[P24〜25]:「知ってる」ことは大したことじゃない
ネットでは誰もが膨大な情報にアクセスすることが可能。であるから、何かについて「知ってる」「詳しい」という状態は、たまたま、その人がその時点で知ることになっただけの一知識でしかなく、得ようと思えば誰でも得られる状態にある知識でしかない。
この状況がいわゆる「高速道路化」を生む。興味さえあれば誰でもすぐに従来の専門家レベルの知識を得ることができる。しかし、その後に大渋滞が待っているのだと羽生善治は説く。
その大渋滞を超えるきっかけの1つが構造化能力である。誰でも集められる情報をどう組み合わせるのか、どう活かし何を生み出すか。ここにはまた異なる能力が必要で、個人的な考えでは、それはアイディアとか発想というもので、その土壌となるのが経験知や技術力だと考える。
※高速道路と大渋滞については下記参照。
CNET Japan Blog - 梅田望夫・英語で読むITトレンド:インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞
[P55〜57]:友達基準は「使える人」
情報はネット上でアクセシブルな状態にあるが、それをどう利用するかについてはやはり専門家の示唆が必要。で、現代では1人が全ての情報に通底するのは不可能なので、道具や友人と協力して解答を出すスキルが高くなってきている。
すると、ざっくり考えて、
能力=情報収集力+人脈+構造化、アウトプット力
という式が成り立つような気がする。
この傾向から、友人関係においても「何かに詳しい」だとか、特殊なスキルがあるというのが重視される。ギブ&テイクな人間関係が普通になり、人脈のトレードが頻繁に行われ、ハブとなる人間が高い評価を受ける。友達、人付き合いの功利主義化が進んでいるのではないか。これは身に覚えがなくもないように思う。
[P69]:あの頃、ネットがあったら
私も平野氏と同様に音楽が好きだったが、田舎の高校だったので趣味を共有できた経験がなかった。しかし、高校の時にネットがあったら、ネット中心の生活になっていたかと考えると決してそうではないような気がする。
なぜか。今思い当たるのは3点。
- 憧れの対象が卑近化されてしまう。
- 自分と同じ趣味、嗜好を持つ人間の多さに同族嫌悪を感じてしまう。
- 共有する時間よりも、より音楽を聴くことを優先すると思う。
1は上京してから、以前より音楽に対する熱意がなくなった理由とも重なる。
2は特に思春期の頃なんて、皆そうではないだろか。誰とも似ていたくないみたいな。
[P93〜97]:たかがネット
リアルと比べ、ネットの世界で循環するお金は少ない。ネットで特化しているのは情報の流動で、それはほとんどがタダ。
であるから、経済的な面や本当に大きな出来事はネットだけで完結せず、リアルにも影響を及ぼすものでなくてはならない。そうなると、ネット上でリアルと切り離した別人格としてブログなり情報公開なりをしているより、ネットはあくまで一形態でしかないという態度の方がリアルへの還元はされやすい。
[P101〜103]:何かを決めるときは、まず検索を考えて
検索して空いている言葉と埋まっている言葉を活用することが重要。
出したい情報(社名、サービス名)はインデックス数が少ない言葉、出したくない情報(子供の名前)は既に情報が溢れている言葉を利用する。
情報は出せば出すほど自分でコントロールできるようになる。どんな情報でも公開していれば、その情報に関するコメントなどが広まり、検索結果ページを埋め尽くすことにつながる。これもSEOの一種。
[P111]:ネットリテラシーは生存本能
ネットには悪意や悪口も溢れているが、だからといって、その可能性を閉じてしまうのはもったいない。ネットリテラシーは生存本能、環境適応のようなもの。自然に負の部分をやり過ごす能力は身に付いていくものである。